現在、私たちが履いている短靴、そう、普通のシューズが一般的な紳士の足元となったのが1930年代だったというのはご存じだろうか。意外にも最近のことなのである。
今から100年前の紳士が正装する際にはブーツを履くのがスタンダードであった。その頃はハーフブーツ、つまり、くるぶしを覆ってその少し上まで丈のあるブーツだ。そのもっと前の時代では、乗馬ブーツが半ズボンに合わせられていた。ナポレオンの肖像画、と言えば容易に思い浮かぶと思う。ズボンの丈が時代とともにだんだんと長くなってくるにともない、靴の丈が短くなっていったらしい。
ブーツは非常に機能的な靴である。「屋外のさまざまな障害から足を守り」「安定した歩行を助ける」という靴本来の機能を、短靴に比べて格段に果たす。昔から、農作業に従事するとき、建築や土木作業に従事するときなどの仕事では必ずブーツが履かれてきたし、ハンティングやバードウォッチング、ハイキング、キャンピングなどのレジャーでもブーツ。野球、サッカー、バスケットボールなどのスポーツの際にも、昔からブーツが履かれてきた。すべてのアウトドアシーンでブーツが履かれてきたのだ。
いつしか、野外の障害はほとんどなくなり、移動手段としての車や電車によって人間が歩く距離も短くなって、靴の機能は地面の衝撃から足を守ることで充分になった。ナイロンなどの化学繊維の進化により、従来は革しかもっていなかった柔軟な伸縮性と堅牢な耐久性の両立を実現させたスニーカーが次々と、さまざまな場面で、ブーツの担っていたその座を奪ってきて今に至る。
先日、当店に来た長年の常連客がこんなことを言っていた。
「おしゃれして良い靴履く世代も、俺らの世代で終わりじゃねえかな」
その人は54歳、私が51歳である。団塊ジュニアの少し前といったところか。
たしかに、時代は変わった。皆が競って最新のファッションに身を包み、それが仕事に活き、人生の豊かさの象徴であった時代は終わったのかもしれない。幸せの定義は、人々が何を欲しがるかに依っているとすれば、衣食住の優先順位は変わってしかるべきである。今の優先順位としては「衣」は最下位であろう。
しかし、本来、人間の営みの豊かさや満足は、さまざまな要素のバランスによって決まるのだと思う。すばらしい住居に暮らす人の格好がくたびれたスエットにボロボロのスリッパだったとしたら、そこに招かれた客はせっかくの住居がかすんで見えてしまうだろうし、最高の内装を施したレストランでいただく美しく美味しい料理は、そこに集う客の雰囲気も影響する。隣でジーンズにTシャツの男性5人組がワイワイガヤガヤと食べていたら、大切な食事が台無しになることであろう。
結局、われわれは一人では生きていくことはできず、皆との協調によってしか、幸せな人生は送れない。自分だけが最高の「衣食住」を保持したとしても、それは、周りに集う人々との調和があってこそ活きるのだ。
最近、以前はスーツ+白シャツ+ネクタイだった旦那さんがカジュアルな格好で仕事をすることになり、自分なりのカジュアルな組み合わせで外に出掛ける姿を見て、その奥さんは「一緒に歩きたくない」などと言っているのを良く耳にする。たいていはスポーツ用のスニーカーを履いているらしいが、いくら良い家に住み、美味しい食べ物を一緒に食べたとしても、一緒にいるのを見られたくないというのでは、本末転倒ではないか。幸せに生きるために装うことの大切さを実感した。
ともに生きるパートナーに「一緒に歩きたい」と思ってもらうのに、今の時代、何もスーツを着なくともよい。ただ、シンプルで清潔感のある洋服に、革靴を履けばよろしい。秋も深まってきたころには、いにしえのロマンを秘めたブーツを選べばよろしい。
Oriental オリエンタル CREED 71,500円(税込み)
内側にジッパーを配して着脱を容易にしたショートブーツ。ブーツ本来の機能である、足首を固定して正しい歩行を助けるという点で非常に優秀であるとともに、何といっても、乗馬を出自とするジョッパーブーツのデザインを踏襲した上品なルックスが魅力のブーツ。
*このエッセイは2021年1月より12月に渡って、クインテッセンス出版の新聞クイントに連載されたものに加筆して掲載しております。