靴にまつわるエッセイ - 日髙竜介(10/12)

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 「葬式無用、戒名不要」 昭和戦後に時の首相、吉田茂首相に仕えてGHQとの折衝などで活躍した白洲次郎の遺言として有名な言葉だが、その文言は白洲次郎の父の遺したものとまったく同じであったらしい。

 葬式、葬儀というのは何とも不思議な存在だと私はずっと感じてきた。もちろん、生活の中にあらわれるのはごく稀であるし、けっして身近なものではないように思って来たのだが、よくよく考えてみると、どうもそうではないことに気づく。

 葬式が行われるきっかけとなる人間の「死」というのは、あくまでも、日々我々が感じている「生」の裏側であり、その2つはつねに表裏一体である。つまり、毎日「生」を謳歌できているのは、その裏側である「死」のおかげともいえるのではないだろうか。言い換えれば、いつも「死」を感じているからこそ、日々元気に生きられるということ。そして、人の「死」がつくり出す葬儀は、残された人々の「生」を互いに確認する場でもある。

 

 葬儀にのぞむ服装は、いうまでもなくフォーマルであるべきである。日本で喪服が初めて登場したといわれている奈良時代以降、庶民は白装束であったそうだ。上流階級も当初は白、後に黒になったり白になったりとしたようだが、普段とは異なる特別な装いという点では一貫していた。

 現代ではもちろん黒、すべての日本人が黒い喪服を着る。欧米を見てもやはり黒っぽい地味な服装が主流だが、日本ほど画一的に真っ黒ではなく、礼を逸しない範囲での自由さはある。チャコールグレーでもネイビーブルーでも良い感じだ。おそらく、それぞれにとって特別な装いであれば良い。靴も黒のシンプルな革靴であれば間違いがないが、茶色の革靴を履いている男性を見かけたことは一度や二度ではないから、日本ほど厳格ではないだろう。いつもスニーカーや作業靴を履いている人が特別に茶色の革靴を履いているのを責める人間などいない。

 

 私が稀に葬儀に参列する際には黒の革靴を履く。葬儀ではピカピカに磨いた靴は失礼だという人もいるが、私は前夜にピカピカに磨くことにしている。磨いた靴は、華美な装いと取られるのであろうか。汚い靴で臨むのはもちろん論外だが、光らせないのがマナーだという。女性の真珠のネックレスのような塩梅ということらしいのだが、それで気分を害するような人がいったいどれほどいるのだろう。そんなことを気にするより、私は故人に想いを馳せながら、一心不乱に靴を磨くことで、私なりの供養をしているつもりだ。不思議なもので、靴を磨くと邪念が消え、純粋な気持ちが整うように感じる。葬儀の本質である、故人を偲び、残されたものの「生」を互いに確認し合うということを実践することになると考えているので、私は葬儀の前に靴をピカピカに磨くのだ。

 実際やってみると、靴を磨いて、だんだんときれいになっていく過程が、まるで悲しみを消化して晴れやかな気持ちになっていくようで、何とも静謐で神聖な行為なのである。これは皆様にぜひお勧めしたい。

 

 そして、非日常である葬儀に履く黒いシンプルな革靴とは異なる、日常の靴として私が気に入っているのがスエードの革靴である。儀礼という意味でも失礼のないものだし、柔らかな表情がウールやコットンの洋服にマッチするというのもあって、日々愛用している。まさに「生」を感じる靴である。また、毎日の小さな幸せを見つけてくれる相棒でもあり、歩くのが愉しくなる最高の道具でもある。黒のシンプルなフォーマルシューズとは対極にあるようで、実は紙一重の存在であり、やはりエレガントさを失わないスエードシューズ。「生」と「死」との関係にも似たこれら2つの靴を、これからもずっと愛用していきたいと考えている。

 

 Oriental オリエンタル JOSEPH 45,100円(税込み)

スリップオンタイプのシングルモンクストラップで英国のタフなスエードを採用した秋らしい1足。スーツにも履けるほどドレッシーなのにローファーのように履けるのが便利で、リラックスした場面での着用に適したラバーソールも嬉しい。

 

*このエッセイは2021年1月より12月に渡って、クインテッセンス出版の新聞クイントに連載されたものに加筆して掲載しております。

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