「パティーヌ」という言葉をお聞き及びであろうか?靴や鞄、財布など革製品の仕上げ方を指すもので、色ムラのある、なんとも美しい風合いの表情が特徴である。語源は「パティナ」というラテン語で、古さび、経年変化による美しさを表す。分かりやすい例で言うと、銅が錆びて青緑色になった「緑青」や、100年以上の年月を経過したアンティーク家具の木材の美しさ、そして革が使用とともに経年して変化した様のこと。日本語では「古色」というが、それを革製品の仕上げに持ち込んだのが「パティーヌ」である。
恐らく、履きこんで古びた革靴(きっとしっかりと手入れされたものだろう)が、新品にはない美しさを漂わせていたのを見る人に感じさせたのが始まりではないかと推測する。事実、私も含め何人かの靴好きが、この「パティーヌ」という概念以前に、靴になんとか「古色」を与えようといろいろと実験したものだ。ある人は靴を寒い地域の土の中に一定期間埋めてから掘り起こしたりしたらしいし、私は革靴を薄めた漂白剤の中に浸けて、古色あふれる革の表情を獲得した。(ただこれは、革がかなり損傷してしまい、何度か履いたら革が切れてしまったので失敗だった。)
古色あふれる革というのは、ところどころ色が褪せて薄くなったり、また反対に、少し濃い色の靴クリームで手入れをしてきたために濃くなっていたりするので、結果的にその濃淡が美しく映えるのである。
実際、たまに使い古された革を見て、そこに得も言われぬ美しさを発見した経験は少なからずあろうかと思う。少年の頃に大切に手入れをしながら使った野球のグローブが思い出される方もいらっしゃるであろう。父親から譲り受けた革の鞄を大切に使っている人を知っているが、それは息をのむほど美しいものだった。
革が美しく経年するためには、やはり手入れが必要である。と書くと、何だかHOW TOみたいだが、本来は、まず先にその革製品に対する愛着があり、永く使うための手入れを惜しみなく行っていき、結果として美しい経年変化があらわれるのであろう。
革の手入れに必要なものは油脂と蝋、そして有機溶剤である。油脂は浸透して革を柔軟にし、その酷使に耐えうるようにするし、蝋は革表面に塗膜を貼って外的刺激から保護する。有機溶剤は余分な油分やそれに固着した汚れを溶かして拭い取りやすくするはたらききがある。
そもそも革というのは動物の皮膚であり、それをなめして腐らないようにしたものである。生きているあいだは「皮」には絶えず養分が送られ新陳代謝を繰り返しながら機能し続けるが、死んだ後は朽ち果てるだけのものなのだが、これをクロムという金属やタンニン(ミモザなど、植物のシブ成分)を用いてなめすことにより腐らない「革」となる。これにより柔軟性、耐熱性をも得て、再び命が宿るようなとても神秘的な工程である。人類がその歴史で獲得した最も大きな智恵のひとつではなかろうか。
その第二の命を絶やさずに持続させ続けることが革の手入れに他ならない。その手入れは前述したように、基本的にはシンプルなものであり、その製品用のクリームなどを用いて定期的に塗布すれば良いのだが、製品によって独自の手入れが必要になることがある。例えば革靴だが、他の製品に比べて立体度が極めて高く、形状が複雑なわりに面積としてはあまり大きくない、そして屈曲が激しく頻繁に行われるがゆえに、カバンなどの製品にはない手入れを行わなければ永年の使用に耐えられない。それがシュートゥリー(シューキーパーとも呼ばれる)だ。
まず木製のシューキーパ―は靴の中の湿度を最適に保ってくれる。一日中履いた靴の中の湿度は90%を越えることもあり、そのまま放置すると、最適湿度である50%~60%に下がるまで24時間近くを要することもあるが、シュートゥリーを入れれば30分で下がる。そして、ソール(底)の反り返りも防げて、更に、油分の補給が一番必要な屈曲部、皺の入る所を伸ばして油分を浸透しやすくしてくれる。実はシュートゥリーを入れるだけで革靴の手入れの半分は出来るとも言われるほど効果的であり、かつ簡単な手入れなのである。あとは1ヵ月に一度程度クリームを塗って油分の補給と表面の保護を行えばよろしい。
ローマは一日にしてならずの言葉どおり、美しい古色溢れる革靴を自分のものにするためには多少の労力が必要ではるが、本質はその靴に対する愛着である。聖書の有名なくだりで、「いつまでも残るもの」には信仰、希望、愛の3つがあり、その内最も重要なものは愛であるという言葉があるとおり。ぜひ愛着の持てる革靴を探してみてほしい。きっと、モノ以上の価値を持つ、人生の相棒、思い出のような素晴らしいものを手に入れられるはずだ。
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*このエッセイは2021年1月より12月に渡って、クインテッセンス出版の新聞クイントに連載されたものに加筆して掲載しております。