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  今年最後のコラムになります。来年の抱負みたいなところもありますでしょうか。どうぞお付き合いください。

  さて、タイトルにある『J.BOY』という言葉。これでピンとくる方もそろそろ少なくなってきている?のかもしれません。邦楽がお好きな方ならご存じでしょう。

 言わずと知れた浜田省吾の名曲、名アルバム。浜田省吾の好き嫌い等はいったん横に置いて、冷静に考えても、日本音楽史を語るとするなら、絶対に外せない曲であり、アルバムです。

 ただの音楽史に限らず、日本文化そのものに大きな影響を与えているのは疑いようのない事実。日本=Japanの略称として“J”を用いたのは、浜田省吾の「発明」とさえ言い切る各種媒体もあるほどで、今や“和製○○”といったものを指す言葉として、我々は何気なく“J”を付けることがありますが(J-WAVE,J-POPなど)、その先駆は『J.BOY』でしょう。

 その『J.BOY』のディスコグラフィーをちょっと見てみましょう。

 

 『DOWN BY THE MAINSTREET』の中の10代の主人公が成長していく姿を描こうと、『GROWIN’ UP』というアルバムタイトルを考えたりして曲を作っているうちに、一見サクセスストーリーの中にいる日本、そしてその中で成長する自分や少年達を歌うというテーマが見えてきた。

 日本の経済が急激に成長して、「Japan as Number One」と言われるようになって、海外の土地や不動産を買いまくりはじめるそういう時代だったんだけど、経済的な成功に対して、じゃあ国として成熟しているのかそう考えると、体はどんどん成長しているんだけど精神的なものは子どものままなんじゃないかと思ったんです。

 俺自身も、アメリカやイギリスのロックミュージックや R&Bが大好きで、それを聴きながら成長して、たいした疑問も抱かずにプロになったんだけど、その頃になって「あれ? 俺はなんでこんな音楽をやっているのかな」と、ふと思って。

 これは「AMERICA」を書いたあとに知ったんだけど、三島由紀夫氏が東大全共闘の学生達と討論をしたときに、「英語しゃべっていると日本人じゃないような気がするのです」「そして道歩いていて姿がショーウィンドーに映ると、このとおり胴長でそして鼻もそう高くないし、あ、日本人が歩いている、だれだろうと思うとてめえなんだな。これはどうしても外国へ行くと痛感するね」と語っている(『三島由紀夫・東大全共闘 美と共同体と東大闘争』角川文庫より)。

 俺も1984年にひとりでロサンゼルスを旅したときにまったく同じことを感じた。欧米の文化を吸収して育ってアメリカにやってきて、ふとショーウィンドーの中を見たら、まさしくアジア人の自分がそこにいた。

 そして翌年観たのが、ブルース・スプリングスティーンの初来日コンサート。日本の観客が一緒に拳を振り上げて「ボ〜ンインザユ〜エスエ〜!」と歌っている可笑しさ。ずっと後にYouTubeでライブ映像を観たら、スペインの観客も「Born in the U.S.A.」って歌っていて笑えた(笑)。

 つまり、リスナーはただ音楽として楽しんでいるだけなんだけど、自分はソングライターだから、日本のオーディエンスが「Born in the U.S.A.」と歌っているのにはすごく違和感があった。

 そんなことが重なって「日本人の少年の歌を作らないと」と思って書いたのが「J.BOY」であり、完成したのがこのアルバムです。

 俺自身ものちに「初恋(My First Love)」という歌で「子どもの頃好きになった初恋の女の子を思うのと同じ気持ちだから、まあ仕方ないな」と結論づけたんだけど、当時はまだ若かったから「欧米の文化で育った自分はいったいなんなんだろう」そんな思いを日本自体とアメリカの関係に重ねて、ただ単に“Japanese Boy”とも日本少年とも言えない独特な感じを、“J.BOY”という言葉に託しました。

https://shogo.r-s.co.jp/disco/album12.html より

 

 さて、話が変わって、私たち日本人が洋服を平服として着る文化が公に定められたのは、明治5年(1872年)11月12日。

 勅愉にしたがって太政官布告で「爾今、礼服には洋服を採用す」と公布され、これをきっかけに日本人男性の服装が大きく変わりはじめました。

 とはいえ、ここを起点に考えても日本の洋装文化というのは、せいぜい150年ほどで、ようやくこの時をもって本格的に洋服という文化を取り入れ始めたわけであります。

 なるほど、歴史的に見てそういうことなのでしょうし、洋服を国内でわざわざ作るということも現在に比べ、少なかったことでしょう。家にある写真アルバムをめくると、1930年生まれの祖母の若かりし頃は和装。特におでかけとなれば和装だったようです。1960年代くらいまでは、和装をしている女性もチラホラ。しかし、高度経済成長期に入って、テレビが各家庭に普及しだすと世の中の動き方、情報の拡散スピードは速くなり、生活のスタイルもそれに伴って完全に切り替わったようです。そして洗濯機の登場。

 やはり和服というのは洗濯が面倒くさい!洗濯機に入れてグングン回す!ということができない。母に聞くと、祖母もせっせと洗濯板で和服を洗っていたようで、気が付くと洋服に変わっていたようです。おそらく70年代になるころには日常的に和服を着ることはほぼなくなったのだと思います。洗濯機も高度経済成長期において、3種の神器といわれたもの。先程の話を裏返せばこの洗濯機の普及が進むとともに、一気に洋服の普及も完全な意味で進んだといえるのでしょう。

 そう考えると、日本の洋装文化というのは、真の意味で浸透しきっては、つい最近までおらず、筆者個人の体感としては、2010年代に入って、ようやく本質的なところまで私たちに浸透してきたのではないかと思うのです。

 ワールドフットウェアギャラリーでは、今まで世界各国の靴メーカーを紹介してまいりました。こちらは私共のホームページのトップにございます『ABOUT』をご覧いただければと思います。そして、その意思はこれからも変わらない所存でございます。

 本2021年には、dubarry of Irelandというアイルランドのカントリーブーツも紹介しましたからね。

 ただ、改めて日本人が「日本という国に生まれ、その血統を受け継いでいる」という、バックボーンをもっていることを考え直したうえで、日本人におすすめするべき「革靴」とは何か?をもっと本質的に考えるべきタイミングに今いるのではないか?そう漠然と、しかしながら強く思うのです。

 すでにそういったことを強く意識して靴づくりをしている感度の高い職人はいらっしゃいます。すぐに思いつくところで、私たちWFGの身近な方だと、HIROSHI ARAIを主宰する荒井弘史さんの名前が出てきます。彼は「欧米の人からSHOESの和訳である靴、ではなく、日本人が考えた履物、海外の方からKUTUと呼ばれるジャンルのものを作り上げたら、私の人生は本望です」とおっしゃるほどです。

 近頃は、「せっかくならインポートの靴よりも日本人だから日本の靴を履きたい」「やはり欧米のメーカーの靴は何となく足に合わない、靴擦れが起きる」そういうお声を頂く回数が数年前よりも増えてきたのは事実です。

 日本男児に生まれたからには、皆、J.BOY

 私もあなたも分け隔てなくJ.BOY

 J.BOYだからこそ履く靴があるはずなのです。

 そういったことを強く意識した取り組みを2022年は行っていきたいと考えております。

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