東急田園都市線の藤が丘駅。「丘」という漢字が地名についているだけあって、町が高台の様です。目的地に向かう途中大きな坂を登り、下っていく。そうして藤が丘駅から徒歩10分ほどの場所に、神奈川県横浜市青葉区柿の木台に「TORU SAITO BESPOKE SHOEMAKER」はあります。
靴職人の斎藤融さんが、2017年にアトリエ兼修理工房として「CONTE」と屋号をつけて旗揚げ。「TORU SAITO」のビスポークシューズ、ビスポークからの経験をふんだんに取り入れた、他と一線を画すハンドソーン仕立てのパターンオーダーシューズ、そして靴のリペアに至るまで幅広く対応されているお店です。
ここ10年ほどで、ビスポークシューズを手掛ける職人が一気に注目を集めています。元来「本格靴」にのめり込んでいた好事家は、今このビスポークシューズシーンに着目しているところです。
さて、今回は銀座店において「TORU SAITO 9分仕立てパターンオーダー」の履き心地をお気軽にお試しいただける機会でございます、「フィッティング会」開催に先駆けまして、「TORU SAITO」を主宰しておられる斎藤融さんにインタビューを行ってきましたので、その様子をお届け致します。
WFG:インタビューどうぞよろしくお願い致します。それでは斎藤さんのご出身等からお伺いできますでしょうか。
齋藤さん:よろしくお願い致します。元々生まれは厚木でして、実家はこの藤が丘からすぐ近くなんです。実は自宅も程近くでして。また、藤が丘であれば、都内にもアクセスしやすくていいと思って、現在この柿の木台に拠点を置いています。
WFG:独立するときからこの場所にお店を開こうとお考えだったのですか?
斎藤さん:いえ、当初はみなとみらいでお店を開こうかと思っていたんですよ。しかし、まず良い物件が見つからないんですよね。お店を開くときの物件探しは出逢いですね…。それからビスポークだけでなく、リペアの仕事をすることも考えると、オフィス街よりも実は住宅街の方が需要はあるんじゃないか?と思い始めました。
それから藤が丘からみなとみらいまで通うことを考えると通勤の時間が勿体ないな!と(笑)自分は職人なのだから、出来る限り、自分の仕事を深く考え突き詰めていく時間を作るべきだとも思いました。それで、この藤が丘に落ち着いたのです。
WFG:斎藤さんがお店を開かれる前-斎藤さんの経歴を少し詳しくお聞かせ頂けますか。
斎藤さん:もともとは多分皆さんと一緒で、学生時代はそんなに革靴は詳しくも、興味もなかったです。私の仕事遍歴を言いますと、最初はサラリーマンからスタートです。ビゲンを扱っているホーユーに就職していたんですよ。皆様もビゲンの名前はお聞きになられたこともあるのではないでしょうか?「ビゲン香りのヘアカラー」です(笑)
さて、ホーユーはビゲンブランドを中心に、「髪」を通じて「美」を売る美容の会社だったので、会社の先輩達も一般的な会社員よりは身だしなみにかなり気を使っている方が多かったです。エドワードグリーンやジョンロブを履いている人もいました。そこで初めて革靴に興味を持ち始めたわけです。そして初めてボノーラの靴を買ったんです。セールでも9万円したので、結構勇気が要りましたね(笑)当時は革靴の手入れの仕方もわからない始末だったんですけれど、それでもブラッシングするだけでビカビカ光るのは、さすがに素人目でも革の違いが分かりました。そこからいよいよ本格的に革靴の世界にのめり込んでいったんです。
思い返すと、2005年~2008年頃は、まだまだインポートシューズも今ほど高くなくて、頑張れば買えるぞ!という値段も多かったですよね。それでクロケット&ジョーンズとか…皆さんがご存じのようなインポートブランドの靴もずいぶん買ってみましたね…。
WFG:本格靴は、靴の手入れをして、違いを知って、より探求していくのは靴好きあるあるですね。
斎藤さん:もうそのパターンでした。さて、そうやって革靴の世界にハマっていく一方で、転機がありました。皆さんもきっと社会人としてお勤めを経験されると、一度はお考えになるのではないかと思うのですが「果たして自分はこのままこの仕事を続けていいのだろうか?」と考えるようになったんです。
決して待遇も悪くなくて、これと言った不満もなかったのですが、仕事で取引先の方と話す中で、魅力を感じる方々は、やはり自分が真にやりたいことに没頭して仕事に打ち込んでいる、仕事に誇りを持っている…。そのように見受けられたんです。
それに対して、「自分は今本当に自分がやりたいことをやれているか?人が自分を見たときに楽しそうに生きているだろうか」と思ったんです。その頃、革靴にのめり込んでいましたから、実際に靴を作る職人になってみようかと思ったんです。そんなときに靴好きの皆さんご存じの雑誌「LAST」を見て、もう気持ちが完全にそっちにスイッチがしたんです。
WFG:とはいっても、靴職人になる道のりは平たんではないですよね。また、なってからがスタート。仕事として続けていくのも…
斎藤さん:まさにその通りなんです。脱サラして靴職人になってみる、という考えを当時尊敬していた職場の先輩に思い切って相談してみたんです。そうしたら、今の話…ですよね。
「実際にお前が自分で思っているほど、本当は靴が好きでなかったらどうするの?続かないよね?」と言われました。話としては至極当然ですし、事実自分もそう思ったのです。
その頃ホーユーでの赴任先は大阪で、4年ほど大阪に住んでいたのですけれど、靴作りでは神戸が有名です。神戸で靴作り教室を開いていたので、「本当に自分が仕事にできるほど靴が好きなのか?」それを確かめるためにも、その教室に行ってみました。そうしたら、「やっぱ好きだな」って(笑)
WFG:思っていたことが固まっていったんですね
斎藤さん:そうですね。そして28歳の時、ホーユーを退社し、靴作りの学校である「ギルド」に通うことにしたのです。ギルドには2008年から2009年の2年通いました。
また、靴作りだけでなく、同時に麻布にある靴修理店の「スピカ」に入社しまして、そこで9年働いていました。そのスピカ在籍時に同じくスピカに在籍していた銀座店のリペアファクトリーにいらした※1大和君にも出会いました。
さらにワールドフットウェアギャラリーさんとも縁がある方ですが、※2柳町さんのワークショップで開催している教室に通いました。
実際に自分がビスポークシューズ職人として仕事をするのであれば、ギルドで教わったやり方だけではなく、色々なやり方・見地を広めたいと考えたからです。
3年間通いました。2年間木型製作、1年間デザインという感じでした。
夜7時から10時までやっていたので、仕事終わりにも通いやすくて…。
毎回教室が終わると、次回の教室までの課題を頂いたり、質問がある人~?と聞かれたりするのですが、課題は毎回自分なりにも立てて教室に通いましたし、質問も必ずしていました。柳町さんは教室の終了時間を過ぎても嫌な顔ひとつもせずに、真摯にひとつひとつの質問に答えてくれました。これは今思い返してもとても貴重な時間で、私の靴作りの指針を形成しているといっても過言ではないと思います。
ですから、私が「あなたの師匠はどなたですか?」と質問を受けたら、やはり柳町さんとなります。それくらい重要な期間でした。
WFG:どういった課題が印象深いですか?
斎藤さん:「人の足の型を取ってきてください」という課題があったのですが、50人ほどの足型を取ると、面白いことに日本人の足の形の傾向が見えてくるのです。
基本的にはボールジョイントの部分が広く、踵が小さいということです。
それに比べと特にインポートの既製靴というのは、ジョイントの部分もやや細めで、踵は逆に大きい作りになっています。ですから、なかなか足が合わないこともあるのではないかと思います。また、既製靴では見た目の美しさを優先するために、甲がビスポークシューズに比べて高く設定していることもあります。逆に甲を抑えるところは抑えてあげないと今度は靴の中で足が前にずれてしまったりもしますので、これもまた難がある。
日本人が日本人に向けて靴を作る意味というのをきちんと考えながら靴作りはしていかないといけないとつくづく実感します。
WFG:今後の目標等はありますか?
斎藤さん:日本においてはじめて、明確に伝統と理論に基づいた真の意味でのビスポークシューズというものを広めたのは、やはり「ギルドオブクラフツ」を開校した山口千尋さんと、HIRO YANAGIMACHIの柳町弘之さんだと私は思っています。それが1990年代の話ですから、日本のビスポークシューズシーンはまだまだ文化として完全に根付いていないと思います。道行く人に「ビスポークシューズってご存知ですか?」「パターンオーダーとビスポークシューズの違いって何だと思いますか?」と聞いたら、答えられないのではないでしょうか?
また、イギリスの靴、イタリアの靴、フランスの靴、アメリカの靴、といったようにやはり欧米からやってきた「シューズ」というものは、それぞれの欧米諸国の特徴・スタイルがなんとなく見えると思うのですが、さて日本の靴の特徴は?日本の靴のスタイルって何?と考えたときにまだそういったものは形成されていないと私は思います。
恐らく…今私たちが生きているこの時代が終わるか終わらないか、そんなところでようやく世界から見たときに「日本の革靴のスタイルってこうだよね」となるのではないでしょうか。とても大きくて漠然とした話ですが、私はその礎を築く一部になれればと思っております。
WFG:大きな…一代の夢、という感じですね。そんな斎藤さんが靴作りにおいて大切にしているところはなんでしょうか?
斎藤さん:見えないところにこそ力を入れるという点です。靴は外から目に見えるところに意識が行きがちなのですが、分解しないとわからないような内部の部分にこそ、力を入れて作り上げないといけないと思っています。
また、やはり身に着けるものですし、靴は違和感を特に感じやすい装飾品ですから、履き心地を左右したりするパートは当然手を抜けないですよね。また、同様に耐久性も求められます。たとえば、ウェルトを縫い付けるための「すくい縫い」という工程もきちんと何ミリ間隔でやるのが良い、といったようなことなど、基本的なことってちゃんとあるのです。「なぜ、それはその作りでないといけないの?」というところも常に自問自答しながら製作しております。
WFG:目に見えないところにこそ、力を入れる。とても安心できるお言葉です。さて、逆に見た目の部分の質問ですが、おすすめの革素材はなんでしょうか?
斎藤さん:私のおすすめはデュプイのルビィカーフです。黒の革になるのですが、日本国内で手に入る革で最高峰のひとつだと思います。見た目にとても美しい革です。特にハンドメイドの靴を初めて作られるお客様には、やはり何と言ってもまずは黒の革でお作りになられると良いのではないかと思います。黒の革靴は基本中の基本ですから、安心感もありますよ!ハズレなしです!
WFG:さて、斎藤さんの数あるモデルの中でも、おすすめの1足はどのモデルになりますか?
斎藤さん:セミブローグでしょうか。
一番受注頂くのもこのモデルです。こちらのサンプルはメダリオンをつけていないので、このままクオーターブローグ式にオーダー頂いても良いと思いますし、メダリオンをいれてセミブローグにされてもいいと思います。スタイルの特徴としてオンにはもちろんですが、ジャケット+ジーパンのようなオフのスタイルにも組み込むことのできる汎用性の高さが今の時代感にもピッタリだと思います。
WFG:最後に皆様に一言頂けますでしょうか?
斎藤さん:「2022年からWFG銀座店様で大体的に受注をお取り扱いいただくようになりました。
コロナ禍を経験し、ECサイトが飛躍を遂げた反面、各業種・業態において『実店舗の意味合い』というものが問われております。靴も同様に多くのECサイトでの販売が一般化しつつありますが、他のフッションアイテムと大きく違うのは『機能性(履き心地)』がかなり重視されるということです。そもそも『足に合うとはどういうことなのか?』また『自分の足の特徴は?』
ネットで調べるには限界がある何気ない疑問をプロの販売員に相談できることは実店舗ならではの楽しみかと思います。
足を見てもらい、試着しながら「靴を選ぶこと」を楽しむ。これまで何100足と見てきたプロの販売員から見たTORU SAITOの魅力とは?そんなことを語り合いながらオーダーすることの楽しみを存分に味わっていただければと思います。」
※1大和潤平…2013年9月から2019年12月末まで、ワールドフットウェアギャラリー銀座店の2階、WFGリペアファクトリーの店主であった。現在は横浜の馬車道に靴修理店の「A Presto Care」を構える。
※2柳町弘之…HIRO YANAGIMACHI Workshop 代表
1999年10月、World Footwear Gallery 神宮前本店内において「Works on the knees」を設立、自らのブランド「HIRO YANAGIMACHI」を発表。店舗の中にワークショップを併設し、つくり手と靴づくりの工程の見えるオープンスタイルであった。当時としては珍しいフルハンドメイドのブランドとして注目を集める。2008年1月に拠点を現在の千駄ヶ谷に移動。日本ビスポークシューズシーンの第一人者である。
斎藤 融さん プロフィール
神奈川県厚木市出身。
大学卒業後、大手化粧品メーカーに営業職として勤務。
やがて靴の世界に魅了され、浅草の靴学校で靴づくりの基礎を学ぶ。
卒業後、更なる技術向上と知識習得のため、
日本を代表する靴職人の一人である柳町弘之氏より
Shoemakerとしての必要な技能と心得を学ぶ。
2014年、自身のブランド「TORU SAITO」発表。
2017年、アトリエ兼工房の「CONTE」を藤が丘に構える。