世界中からイイ靴を! ワールド フットウェア ギャラリーと 名だたるシューズブランドとの「40年物語」 SPERRY TOP-SIDER(U.S.A.)  1979年~

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スペリー・トップサイダー/春夏の足元を軽やか&快適にするデッキシューズの名品

TOP SIDER 1984年カタログより

 

「キャンバスオックスフォード」と並ぶ、トップサイダーを象徴するレザー製デッキモカシン。オイル加工で撥水性を高めたアッパーを使い、素足にもやさしいアンラインド仕様&モカシン製法で作られており、デッキ上で引き波に靴を持っていかれぬよう、履き口がしっかり締め込める全周タイプのシューレースが採用されている。また、脱ぐ際に重宝するヒールキッカー(ヒールカップ外壁に横一文字に施されたスリット。この部分をもう片方の足で踏みつけると、脱ぎやすくなる)も備え、色写りでデッキが汚れるのを防ぐべく、「スペリーソール」はホワイトカラーとなっている。

 

 

 

デッキシューズの発展史におけるエポックとなったスペリーソールの発明

デッキシューズは水路網が発達し、世界第一の海運国だった19世紀のイギリスで、海上・港湾労働者らの間で盛んだったボート競技の会場で履かれたボートブーツが起源と考えられます。それがアメリカに伝わり、モカシンと融合してスリッポンタイプの短靴に変容し、ボートモカシン(ヨットモカシン、デッキモカシンなどとも呼ばれる)として完成をみました。日本には1960年代に上陸を果たし、ことに'80年代半ば、ネオプレッピーの定番靴として広く認知されるようになりました。

 

その人気を先導したのが、「デッキシューズの元祖」とされるスペリー・トップサイダーでした。創始者で、当時はセイラーだったポール・スペリー氏が、氷上を走る愛犬の姿からインスピレーションを受け、その足裏の構造をヒントに開発したのが、史上初のデッキソール、すなわち「スペリーソール」でした。同氏はこれをきっかけに、1935年、米マサチューセッツ州でスペリー・トップサイダーを設立。この画期的なソールを備えたスペリー氏の靴は、やがてアメリカ海軍兵学校の標準フットウェアのひとつとして採用され、さらには、そのファッション性がアイビーリーガーたちの間で大いに評判となり、プレッピールックの足元を飾る定番靴にもなったのです。

 

では、「スペリーソール」とは、どのようなソールなのでしょうか? 一般的な靴底の場合、水にさらされることでハイドロプレーニング現象、すなわち水の被膜でグリップ性を失う現象を起こすため、濡れたデッキ上で著しく滑り、歩行と安全が妨げられてしまいます。一方、「スペリーソール」では、その表面に細かい波状の切り込みが施されていて、歩行すると、この切り込みが「広がる→閉じる」を繰り返しながら浸入していた水分を押し出す構造なのです。しかも、切り込みが波状のパターンなのもミソ。直線では水分が刻みの中で移動してしまうのですが、波状ですと、波状のトップ部分とボトム部分で微妙に排水するタイミングがズレることから、たとえばトップ部分の水が波形のボトム部分に移動しても、そこで外に押し出されてしまうわけです。

 

と、聞けば大いに納得するのですが、これを発明したポール・スペリー氏の発想たるや、なかなかに素晴らしいものであるなと感心してしまうのです。

 

 

 

「ワールド フットウェア ギャラリーの歴史はトップサイダーから始まりました」 by WFG スタッフ

「かつて当社は、東京・原宿のラフォーレで『メルプルー』というサーフィンショップを経営していました。また、当時はサーフィン市場が未成熟だったことから需要拡大を図るべく、日本初のサーフィン専門誌『サーフィンワールド(SURFING WORLD)』(2009年以降、休刊中)に、1975年の創刊から深く関与してもいたんです。

しかし19798月、そこから離れて、初めて靴の輸入・卸に取り組むことに。そして、その靴がトップサイダーでした。当時はチノパンが流行中で、その足元はVANリーガルか、稀にフローシャイムやジャック・パーセル。あとはオニツカのバッシュといった感じで、あまりバリエーションがなかったんですね。当社の代表はボート競技をやっていた学生時代からトップサイダーの存在を知っていましたが、その靴は東京・アメ横などで少量が売られてはいたものの、国内でほとんど見ることはできませんでした。

そうしたなか、『メルプルー』でトップサイダーを販売することとなり、さらに同店にスケートボードを納品していた某商社を輸入の窓口にして卸も始めたのです。上代は革製2万円、キャンバス製を8800円とし、百貨店などとも交渉したのですが、当時としては高額に思われて、うまくいきませんでしたね。

そこで発想を変え、各大学の生協に営業をかけました。というのも、当時、大学生の間でコンバースのバッシュが一番売れていたからです。『それならトップサイダーの需要もあるはず』と考え、各大学生協に売り場を設けたところ、これが売れに売れたんですよ! さらにソニーファミリークラブやタカキュー、丸井などでも取り扱われるようになり、年間4万足以上を販売したのですが、某靴製造大手がこれに目をつけてトップサイダーの総代理店になってしまったため、残念なことですが1983年、手を引くことになりました。でも、このトップサイダーというカジュアルなライフスタイルシューズの市場への普及は、日本のファッションシーンにとってエポックメイキングなことだったんじゃないかと思うんです。ちょうどその後、洋服のセレクトショップは靴を取り扱うのが当たり前、という時代がやってきたんですから。」

 

 

以上、執筆:雑誌ライター 山田純貴

 

 

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