G.H.バス/誕生から80余年、ローファーの始祖「ウィージャンズ」はいまなお人々を魅了し続ける
G.H.バス「ウィージャンズ ローガン」
「ウィージャンズ」にはデザインがやや異なる「ラーソン」やビット付きタイプ「リンカーン」など、いくつかのバージョンが存在している。が、ローファーデザインの元祖であり、かつて日本では「ウィージュン」と呼ばれ、いまなおブランドの象徴であり続けているのは、この「ローガン」だ。アッパーはガラスレザーで、ソールは基本的にシングルレザー仕様。素足履きでも心地よいアンラインド(内張りを施さない仕様)にモカシン×マッケイ製法が相まって、屈曲性のよい、履き心地軽快な靴になっている。レザーソール。写真はスタッフ私物。
スニーカー人気に代わるシューズトレンドとして、もっかローファーの人気が高まっています!
長年続いたスニーカー・ブームがようやく一段落し、このところ(2022年4月時点)、革靴回帰の傾向がうかがえます。なかでもローファーを含むスリッポンは、スニーカーから革靴に移る際のエントリーシューズに相応しいとあって、どのブランドでも売れ行きが伸びていると聞きます。
そのローファーをどんな靴と定義できるかを考えてみますと、それは「甲にモカと呼ばれる蓋(ふた)状のパーツをもち、馬具の鞍(サドル)のごとくまたぐように縫い付けられた甲ベルトを備えたスリッポン系の短靴」となるでしょうか。もっとも、サドルがないスリッポンなどにも「ローファー」と命名されることが多々あるので、この定義は狭義的なものと解していいかもしれません。
スリッポンシューズの起源は先史時代のバッグシューズ(Bag Shoes/1枚の革に足を乗せ、下から足を包み込み、足首にヒモを巻き付けて使用する巾着状の履物)ですが、では、ローファーはいつ、どのように誕生したのでしょうか? 一説では、1926年にロンドンのビスポークメーカー、ワイルドスミス・シューズ社(2016年より、商標は英・ヘリングシューズ社の傘下にある)が英国王ジョージ6世のためにデザイン&製作したハウスシューズ(カントリーハウスの中で履く靴のこと)が史上初のローファーとされています。それは後にプレタとして市販もされて人気を博し、他社の模倣を誘いました。ちなみに、そうした靴は当時、「ハロー(The Harrow)」と称されたということです。
しかし、ハローは現在、私たちが知るローファーの直接の先祖とはいえません。では「本当のご先祖とは?」となるわけですが、それには以下のようなヒストリーがあります。
アメリカンネイティブ×ノルウェー、それぞれの民族靴が融合したことでローファーの原型が誕生
首都オスロの北西、ノルウェー南西部に位置するオーランド。かつて北海やノルウェー海を漁場とする英国漁船の寄港地となっていた、このフィヨルドの町では、船から降りた漁師らが靴の修理を依頼するようになり、結果、靴作りが主要産業のひとつになっていました。そうした靴職人のひとりにニルス・グレゴリウセン・トヴェレンジャー(1874~1953年)なる人物がいました。彼は7年間、北米で製靴技術を学んだ後に帰国し、オーランドで靴工房を営んでいたのですが、1930年頃、自ら考案したスリッポンを売り出します。オーランドスコーン(Aurlandskoen)と称された(後年「オーランドモカシン」、「オーランドシューズ」とも呼ばれる)は、同氏がかつて修業先で目の当たりにしたイロコイ族(米国北東部に居住していたネイティブ)の伝統的なモカシンにインスパイアされ、それをベースに、オーランド地方で古くから履かれていたモカシンを融合させたデザインの履物でした。そして、これらはすぐに評判となり、本国のみならずヨーロッパ各国に輸出されたのです。
そのオーランドスコーンを渡欧中の米国人が発見し、自国に持ち帰ったところ、どういういきさつかは不明ですが、それが男性ファッション誌『エスクワイア(Esquire)』に掲載されたのです。そのグラビアは、大規模農場のローフィングエリア(Loafing Area/搾乳前の牛たちがたむろして自由に動き、餌を食べたり、反芻などしながら待機する場所)で、この靴を履いているノルウェー人の農夫(実際にはプロのモデルであったろう)を写したものでした。そして、この写真を参考にしたのでしょう、米国北東部ニューハンプシャー州のシューメーカー、スポルディングファミリー社(現存せず。現在のスポーツ用品ブランド「スポルディング」とは無関係)が、そのデザインをベースにした製品を「ローファー(The Loafer)」と銘打って売り出したのです。そして、これが「Loafer」という名称の起源になったわけなのです。
G.H.バスの永世定番靴「ウィージャンズ」がローファーの基本スタイルを決定づけた!
しかし今日、私たちが「これぞローファー!」とイメージする基本スタイルを確立させたのはスポルディングファミリー社ではなく、ここに紹介するG.H.バス社(G.H.Bass & Company)なのです。ということで、ようやく話がG.H.バスにたどり着きました。
同社は1876年、米国北東部メーン州ウィルトンで革なめし職人ジョージ・ヘンリー・バス氏によって設立されました。1927年、かのチャールズ・リンドバーグ氏が大西洋横断単独無着陸飛行の偉業を達成した際、同社のブーツを履いていたという話があります。そして、そのG.H.バス社が1936年、「ウィージャンズ」と命名したローファーを発売するのです。これは、当時の社長ジョン・R.バス氏が、ある雑誌編集者から贈られたアザラシ革のノルウェーモカシン(それが前述のオーランドスコーンであった可能性は十分にあります)をヒントに開発したもので、ウィージャンズ(Weejuns)はノルウィージャン(Norwegian)、すなわち「ノルウェーの」という言葉に由来しています。ちなみに、日本ではノルウィージャンという用語は、北欧が発祥地である防寒靴向けウェルテッド製法の一種として知られていますが、G.H.バスの、この「ウィージャンズ」はモカシン×マッケイ製法で作られているので、ノルウィージャン製法とは全く無関係です。
発売当時から人気を博した「ウィージャンズ」ですが、世界的に認知されたのは1960年代のこと。一大トレンドとなっていたアイビールックの足元を飾るアイテムとして脚光を浴びたのです。しかも、甲サドルのスリット(「ウィージャンズ」では半月形)に1セント硬貨、すなわち1ペニーを挟むことがアイビーリーガーの間でブームとなり、やがて「ウィージャンズ」はコインローファーとかペニーローファーと、また、そのスリットはコインスリット、ペニースリットと呼ばれるようになりました。
その頃、日本でもVANの登場を機にアイビーブームが到来し、ローファーもその定番フットウェアとして広まっていきます。ことに「ウィージャンズ」はみゆき族(1964年頃、東京・銀座のみゆき通り近辺にたむろしていたアイビースタイルの若者たちのこと)の憧れ靴として、その存在が知られるところとなりました。とはいえ、彼らが実際に履いていたローファーの多くは国産であったはずで、本物の「ウィージャンズ」を所有することができた者はごくわずかだったことでしょう。
そんなエポックメイキングな傑作靴「ウィージャンズ」は(すでにメイド・イン・USAではないものの)、いまなお健在。前述したとおり、もっかのトレンドである脱スニーカーの急先鋒であるローファーのなかでも、最も注目すべきが、ローファースタイルの元祖と呼ぶべき、このモデルではないかと思う次第です。
「’80年代のトレンドだったブレザー×チノの足元に合う靴として輸入。当時、とてもよく売れました」 by WFG スタッフ
「ワールド フットウェア ギャラリーの歴史はトップサイダーの輸入・卸で始まったのですが、1983年にそこから手を引くことになり、それに代わるものとしてG.H.バスのローファーを仕入れることにしました。トップサイダーと同様、バスのローファーも当時、旬だったブレザーやチノパンとの相性がいいと考えたからです。それらは大手通販や紳士服チェーンなどで、価格2万9000円で販売され、若者層や若いファミリー層がメインターゲットの某大手ファッションチェーンでは、とりわけ売れに売れたんです。ところがこれもトップサイダーと同様、某大手商社に販売権を奪われて、撤退を余儀なくされることに……。とても残念な思いをしましたね」
以上、執筆:雑誌ライター 山田純貴