世界中からイイ靴を! ワールド フットウェア ギャラリーと 名だたるシューズブランドとの「40年物語」 Tricker’s(ENGLAND)  1987年~

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トリッカーズ/ノーサンプトンの現存最古の名門にして、カントリーシューズの創造主

トリッカーズ「モールトン」

ブランドのDNAを今に継ぐワークシューズの名品。履き込んでやれた姿が、これほどカッコいい靴もそうそうない。なお、「モールトン」と「ストウ」はほぼ同じものだが、アッパー素材が異なっており、業務用由来の前者のアッパーはシーシェイド(濃淡が中庸のタン色。土にまみれても、それが目立たないという理由から定番化した)。ソールはコマンドタイプが基本だが、他の底材が採用される場合もある。いっぽう「ストウ」はシーシェイド以外のカラーで、ソールはレザー、ダイナイト、リッジウェイなど多彩だ。ともにグッドイヤーウェルテッド製法。

 

 

日本でのトリッカーズの本格展開はワールド フットウェア ギャラリーで始まった!

 

数ある高級メンズシューズブランドのなかでも知名度が高く、カントリーブーツにいたってはファッション派のあいだで熱心なファンが少なくないトリッカーズですが、実はワールド フットウェア ギャラリーは、この英国の名門ブランドのインポーターとして日本での普及に努めていました。その始まりはバブル経済真っただ中の1987年で、その頃はまだ、コアな人々が知るのみのブランドでした。英国靴の聖地ノーサンプトンでジョセフ・トリッカー氏がトリッカーズを設立したのは1829年のこと。これはグッドイヤー製法の発明(1879年)以前のことですから、創業時の靴作りはフルハンドメイドであったはずです。また、同社はノーサンプトンにおける現存最古のシューメーカーであり、英国のシューメーカーではクラークス(1825年創業)に続く老舗です。なお、ロンドンのビスポークブランド、ヘンリー・マックスウェルは創業年が1750年と圧倒的に古いのですが、1999年にフォスター&サン(1840年創業)に吸収されているので、ブランドとしては残っているものの、メーカーとしての実態は消滅しているといっていいでしょう。

 

現在、トリッカーズは80数名のスタッフを要し、1週間に平均1000足ほどを生産(2021年実績)。その製品は世界43ヵ国で販売されているそうです。なお、同社は英国王室御用達のブランドであることでも有名。すなわち、1989年にプリンス・オブ・ウェールズことチャールズ皇太子より、ロイヤルワラントを授かっているのです。

 

カントリーブーツの源流は英国北部ハイランドの猟師らが履いたプリミティブな毛皮の履物だった

 

トリッカーズは多様なフットウェアを生産している(ルームシューズなども有名)のですが、その本懐はといえば、それはやはりカントリーシューズ。とりわけフルブローグブーツ(穴飾りが施されたウィングチップブーツ)の「ストウ」や「モールトン」ということになるでしょう。

 

カントリーシューズの源流は16世紀、ハイランダー(ケルト系ブリトン人のうち、ハイランド、すなわちスコットランドとアイルランドの高地や島嶼部などに住む人々のこと)の履物であるといわれています。彼らは夏冬を問わず、ほとんど素足で過ごしていたものの、狩猟や放牧の際などにはゲール語でブローガン・ティオンダイド、またはブロックと呼ばれた、主に鹿(他に牛、馬、アザラシなども)の生皮、ないし半なめし革で手作りしたプリミティブな靴を履いていました。

 

後にクアラン、あるいはブローグスなどと呼ばれるようになる、それらの多くは毛皮で、そこにはブローギング(排水するための小穴)がうがたれました。というのもハイランドは寒冷で、悪天候の日が多く、したがって地面は湿ってぬかるんでおり、ゆえに靴中までぐっしょりと濡れてしまうのです。そして、これによって長時間、足がふやけて腐敗し、トレンチ足と呼ばれる深刻な状態に至り、最悪の場合、壊疽(えそ)によって足を切断する結果になりかねませんでした。したがって、排水孔であるブローギングはなくてはならない機能だったわけです。

 

時は経って17世紀半ば、狩猟やフィッシングを趣味にしていたハイランドなどの地主階級の人々は、その際に履く靴に、往年のブローギングを取り入れ始めました。とはいえ、それらに排水機能はなく、あくまで装飾でした。また、かれらはトウに自身の階級や家系を主張する紋章、あるいはラッキーチャームのシンボルを小穴模様で表すようになります。これがディコレイティブパーフォレーション、すなわちメダリオンの事始めでした。

 

カントリーシューズというカテゴリーを創始したのは、やっぱりトリッカーズだった!

 

そうしたカントリーサイドの靴を近代によみがえらせたのは、疑いなくトリッカーズでした。それは1848年、わずか8歳だったウォルター・ジェイムズ・バールトロップ氏(後にジョセフ・トリッカーズの義理の息子となる)が自身のために作ったプレーントウブーツでした。そしてこれを機に、トリッカーズはカントリーシューズを継続的に生産するようになります。

 

現在、私たちが「これがカントリーシューズ」と認識するブローギング入りのブーツ「モールトン」が誕生したのは1926年のこと。兄弟モデル「ストウ」も、その11年後に発売されており、ともに木型は変更されてはいるものの、パターンや製靴法はほとんど変わることなく、今日なお、生産され続けています。なお、これらにはハンティングブーツのイメージが強く、実際、本国では狩猟にも使用されてはいるのですが、もともとは農業従事者向けに売り出されたものであり、現在でもこれらを履いて耕作や牧畜に励む人々が少なくないとのことです。

 

 

 

「実は、最初に仕入れたのはカントリーブーツじゃなく、乗馬ブーツやオペラパンプスだったんです」 by WFG スタッフ

 

「あるアパレルのインポーターから輸入代行を依頼されて、1987年にトリッカーズの仕入れを手がけ始めました。当時、大阪・梅田にあったワールド フットウェア ギャラリーの第1号店(現在は閉店)と、その4年後にオープンした神宮前本店などでも販売しましたね。ただ、あの有名なカントリーブーツは後に取り扱ったものの、初めに仕入れたのは、実は乗馬ブーツやオペラパンプスなどでした。同社がロイヤルワラントを授かるのは、その2年後なのですが、すでに英国王室のご愛顧を賜っていましたので、まずはそれを強く押し出したいと考え、そうした上流社会をイメージできるアイテムに絞ったんです」

 

 

以上、執筆:雑誌ライター 山田純貴

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