世界中からイイ靴を! ワールド フットウェア ギャラリーと 名だたるシューズブランドとの「40年物語」 CREEKS(FRANCE)  1986年~

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クリークス/フレンチカジュアルのジーンズやスニーカーを日本に広めたパイオニアブランド

かつて東京・渋谷に存在した「クリークス グラン」。その地下フロアには「ワールド フットウェア ギャラリー」の名を冠したコーナーがあり、クリークスのスニーカーが取り扱われていた。こうして当時の品揃えを見ると、バブル経済末期の華やいだ雰囲気が伝わってくる、そんな心持ちになる。

 

日本上陸を告げる渋谷店では、巨匠スタルクの愛弟子が来日し、ショップデザインを手掛けた!

1988年当時のパリにあったフィリップ・スタルクデザインのCREEKSショップ。

 

すでに日本では、その名を耳にすることが稀になってしまったクリークスですが、バブル経済末期に当たる1990年前後の時期、フレンチカジュアルの先鋭として大変人気のある存在でした。

 

1974年に設立されたクリークスは、主にティーンエイジャーをターゲットに、比較的リーズナブルな価格のファンシーなカジュアルを提供するブランドとして、本国フランスではもとより、英国や米国などでも多くのファンを獲得していきました。それらのアイテムは「フランス流に解釈したアメカジ」といったもので、ことに中心的なアイテムであったジーンズの人気は高く、’80年代、リベルト(LIBERTO)やシピー(CHIPIE)などとともにフレンチジーンズ・ブームを牽引する存在になりました。

 

そうした海外での人気に着目したワールド フットウェア ギャラリーは1988年、某商社と協業して日本でのクリークスの展開を図るべく、東京・渋谷の明治通り沿い、神宮前六丁目交差点近くにオンリーショップ「クリークス グラン(CREEKS GRAND)」をオープンさせました。当時、クリークスはパリ中心部の繁華街レ・アールにフラッグシップショップを構えていたのですが、その内装をデザインしたのは、かのフィリップ・スタルク氏でした! 今日、東京・浅草近くにある「アサヒビール スーパードライホール フラムドール」のデザインを手掛けたことでも知られている同氏は、’80年代から世界的な建築家として脚光を浴び、日本でも大変注目されていました。そこで「クリークス グラン」にも、その世界観を活かすべく、スタルク氏の弟子だった建築家ジャン・マス氏にデザインを依頼。こうして日本におけるクリークスの第1号店が同年8月28日にオープンしたのでした。ちなみにマス氏デザインの同店は、当時、建築関連雑誌にも取り上げられ、高い評価を得ていたそうです。

 

ワールド フットウェア ギャラリーの名を冠して展開されていたクリークスの渋谷店シューズフロア

「クリークス グラン」は3フロア構成。1階ではジーンズやチノパン、スウェットなどが、2階ではアウターやシャツ、バッグなどが取り扱われ、地下1階がシューズのフロアになっていました。クリークスはカジュアルファッションのトータルブランドですが、そのコレクションに革靴などはないものの、アメカジ風のフレンチスニーカー(香港製でしたが)を多彩に展開していました。したがって、このフロアではそうしたクリークスのスニーカーを一堂に取り揃えていたわけですが、実はここをワールド フットウェア ギャラリーと称し、パラブーツなど他のフレンチブランドのシューズも取り扱って売場の充実化を図っていました。ワールド フットウェア ギャラリーは当時、すでに大阪・梅田に第1号店を擁していました(現在は閉店)が、都内での店舗営業はこのときが初めてでした。契約上の関係から2年後に「クリークス グラン」から引き揚げるのですが、これを引き継ぐかたちで1991年に現在の「ワールド フットウェア ギャラリー 神宮前本店」が開設されたのです。

 

一方、クリークスは神戸・元町の第2号店オープンを皮切りに、新宿・歌舞伎町、東京・吉祥寺、秋田、富山、松山……と多店舗展開を進めて、その知名度を高めていきました。ところが、その後、バブル経済の終焉とともにファッショントレンドが大きく変化し、フレンチカジュアルの人気が沈静化するに連れ、クリークスの存在感は薄らいでいきました。しかも、本国でも人気が後退。1999年にオンラインショップを開いたものの不採算となり、2001年にウェブから撤退。2007年にブランドが復活を果たすものの、以降、キッズアイテムなどを積極的に取り入れたファミリー向けのファッションブランドに姿を変え、現在に至ります。

 

今日、残念ながら日本での展開はない模様で、半ば‟幻のブランド”になってはいるものの、こうして一時代を築き、パラブーツなどに先んじてフレンチカジュアルシューズの存在感を人々に知らしめたクリークスの功績は決して小さいものではなく、いまもなお、記憶にとどめておくべきブランドなのだと思うのです。

 

 

「コングラチュレーションレター企画も大好評を博し、フレンチジーンズの代表格として認知されるように」 by WFG スタッフ

「トップサイダーやG.H.バスが、日本での販売が好調だったにもかかわらず他社に販売権が渡ってしまったという苦い経験から、私たちは、概してドライでビジネスライクすぎるアメリカのメーカーとの取引を断念し、人間関係をより重視するヨーロッパのブランドに注力するようになりました。そんななか、フランスカジュアルのクリークスを日本で展開しようということになり、1988年に某商社とのジョイントベンチャーで同ブランド専門の卸売&直販会社クリークスジャパンを設立。ホーキンスでトライしたコングラチュレーションレター入りリミテッドエディションの手法をクリークスのジーンズにも取り入れて販売したところ、これもまた大好評を博しましたね。また、東京・渋谷にオープンさせた『クリークス グラン』では、地下1階に『ワールド フットウェア ギャラリー』の名を掲げたシューズコーナーを設けて、クリークスのスニーカーはもちろん、パラブーツなど他のフレンチブランドの靴も販売し、こちらも大いに評判を得たのですが、パートナーである商社との合意により、残念ながら1990年12月に手を引くことになったのです」

 

 

以上、執筆:雑誌ライター 山田純貴

 

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